このコロナ騒動の中、東京に行って来てよかった。
なんかピンと来るものがあって、taozenの大内先生のところで瞑想とチネイザンのプラクティスに参加してきました。
帰って頂いてきたものは、手こだえのあるテクニックや知識ではなくて、きちんと閉まっていたネジが外された感。
おーい ネジどこいった?状態。
もうそのネジいっか〜要らんわという感じでもある。
世界観、崩された。
人としてのキャパがミクロな自分、思考回路がカチコチで情報処理が上手くできてない自分に改めて気付けて良かった。
ヨガを15年もやってると、ヨガ的に考える癖が付いてしまっていて、グラウンディングすること、中心でニュートラルで居ること、調和的な在り方にいつも囚われてしまっている。
(今まではこれが囚われだとは気付かなかった。)
あとは日本社会において、もしくは東アジアの精神文化圏において、ある種"良し"とされる価値観に多少なりとも影響されて生きている自分。
私の場合は若い頃にアメリカの大学で教育を受けたことで、アメリカナイズドされているところ(自分では認めたくないのですが)も少しだけあるようですが。
今回はそこをとことん突き破ってブレークスルー。
真のバランスっていうのは動きがあってこそのバランスで、平和で静止していることでもずっと穏やかで居ること状態のことでもない。
ヨガだとどうしても二元(東洋/西洋、陰陽)や三元(アーユルヴェーダ的な)的な物の見方でバランスを理解しがちだけど、より多次元で観てみると一体何が正解かさっぱりわからなくなる。
要はいつもワンパターンの物差しではなく、色んな方向から色んな次元で見れるようになったら、もっと自由になるんだろうな。
正規のルートから思いっきり脱線したり、感情も肉体もグラングランしたり、逆さになったり、ネジの一つや二つないくらいの方がその人なりのその時のバランスになることもある。
そしてそういう人の方が、なんか人としてキャパがあり魅力的に映るかもね?
ヨガをしてる人の中では、私はそんなに真面目じゃない部類だと思っていたけど、まだまだ堅物で狭くてブリッコな自分に気付いたよ。
人生ちゃんと地に足つけて中庸で生きていこうではなく、もっともがき、揺れて、ハズして、戻って、楽しんではじけて、面白く生きようと改めて思った。
え、今までもそうだったんじゃないの?と言われてしまいそうですが。笑
ジジには、あんたホント甘いのよ〜といつも見透かされていますがね。。。
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