お墓議論

お墓参りに行く度に
家族でお墓議論になるのですが
うちはお墓は要らない!お墓に縛られたくない!
と思ってる人だらけの、おそらく一般的からは程遠いマイナリティな家族です。

母:嫁いだ先の墓にも、自分の実家側の墓にも入りたくない、その辺のバラ園にでも秘密で散骨しといて。

妹:子供が維持管理するの面倒だろうから、墓はいらない。

私:夫の実家の墓には入りたくない、自分の父方の墓にも入りたくない、歴代飼った愛猫達の遺骨と一緒に樹木葬か、自然葬がいいかな?

夫:特にこだわりなし (←ってか、もっと真剣に考えよ!!)

お墓がなくても、簡易な仏壇的な飾り棚があって
写真や花を飾ったりして
供養して手を合わせる場所があればいいやん
というのが女衆の合致してる意見。

父方のお墓は檀家になってるので
維持費や毎回の行事や法要など何かと手厚すぎて
そしてかなり遠方なので
長女の私としては正直ちょっと負担がねぇ...
という感じ。
父は高齢で管理できないし。

色んな価値観があると思いますが
お墓については、今後の日本ではどんどん変わっていくんじゃないかなー。

お墓参りの行き帰りの道中で
故人の話題であーだこーだと笑ったりできるのはいいことだなーとは思いますけど
昔ながらの風習を必ずしも守らないといけないとも思わないし、ご先祖様ー!という信心深さを自然に備えてない人がそう感じるのは難しいことだし、
本人がどんな風に送り出して欲しいのかを
遺書か前もって意思表示しておいて、
その自由な意思を尊重したらいいのかなぁと。

人間はいつか最後は一人で旅立たないといけない。

この世で生かされている短い期間は
もちろん周りの方達のサポートがあってこそ生きていけるわけで
一人でなんかは生きていけないのだけれど
 
でもどんなに恵まれた家族やパートナーや友人に囲まれていても
ずーっと一緒に居ることなんてできないし
究極は人間ってみんな、自分ひとりの人生に責任を持って生きてるんだと思う。

もちろんその根底には大きな自然や宇宙の営みの中で人類みな繋がっていて、魂の兄弟なんだという安心感もあるのだけど。

お墓どうする問題... 
色々考えておかないとなぁ。

写真はお墓参りの帰りに寄った
鳥取県国府町の雨滝。
お墓参りも寄り道しながら楽しむのが私流。

はなねこ

INSPIRE主催 ヨガ講師/平尾江利のブログ

0コメント

  • 1000 / 1000